久保田薫コラム

アメフトのヘルメットの起源は・・・

第5話
アメフトのヘルメットの起源は・・・
第1章


アメリカンフットボールと言えばルールなど何も知らない人でも、あのカッコイイ(と本当にそう思われているかどうかは別ですが)ヘルメットと肩にパッドのようなものを入れた選手がやっているスポーツ?というような答えが概ね返ってくる事でしょう。

アメフトと言えばやはりヘルメットとショルダーパッドが一番に浮かぶのはそのアメフトという競技の発祥から発展の過程を顧みればよく判ると思う。フットボールの歴史については後日詳しく述べたいと思うので、ここでは簡単にふれておきます。

そもそもフットボールの起源については諸説がありますが、私が個人的に思うのは発祥は中国の「蹴鞠」(ケマリ)で、それが中国とヨーロッパを繋ぐ東西交易の通行路であった「シルクロード」を通じて多くの商品とともに文化やスポーツもギリシャ、ローマにも伝わっていき蹴鞠も後に古代ギリシャで「ハルパストン」という球技として発展していったと思われます。

フットボールといっても世界でアメリカのみがアメリカン フットボールの事を指しておりカナダではカナディアン フットボールを指し、南米やヨーロッパではフットボールといえばサッカーの事であるが、そもそもサッカーという競技が正式に誕生したのは1863年でそれまでは足で蹴ったり、ボールと思われるものを手で運んだり人数やフィールドの大きさなどのルールが全くなく、球を使った格闘技(ハルパストン)もしくは町と町との戦争のような雰囲気のものもあったほどである。

19世紀初期はそれらの球技をすべて「FOOTBALL」という言葉でひとくくりにしていた。イングランド(現在のイングランド南部)でもフットボールという競技をやっていたが一般的によく云われている 1823年ラグビー高校(写真1)でサッカーの試合中に選手が足だけしか使えないことにはがゆくなり、エリスという選手が思わずボールを持ってゴールまで走り出した事がきっかっけでラグビーフットボールが誕生したというのが通説ですが、前述したように当時は各国各地で独自のルールの基、ボールを蹴ったり持って走ったりするという球技が行われていた。

それらをイングランドはきちんと統一しようということで1863年に「ASSOCIATION FOOTBALL」(写真2)という組織が作られ、これが後にサッカー(ASSOCIATIONのSSOCにERをつけアソシエイションをやる人という意味から名付けられた)と呼ばれるようになったが現在日本でもサーカー部をア式蹴球部という名前を使用している大学もあるが上記の経緯から理解できると思います。

当然、ラグビーが誕生したと云われる1823年にはまだサッカーという競技名はなかったはずであり、サッカーの試合中というのは違うのではないかと思われる。そして、「ASSOCIATION FOOTBALL」と同時期に現在のラグビーの基となる「RUGBY UNION」も誕生することになり、ラグビー フットボールが誕生しました。日本名を辞書で調べるとラグビー フットボールの事をラ式蹴球と書かれているはずです。

ちなみにアメリカン フットボールはア式蹴球が妥当かと思われますが既にサッカーで使用されているので辞書には米式蹴球とあります、戦時中はアメフトに限らず敵国用語は使用しないということで野球用語などもすべて無理やり日本語化された感があり、アメフトもヘルメットやパッドを装着している格好が鎧(ヨロイ)、兜(カブト)を連想させ「鎧球」(ガイキュゥ)と呼ばれていた時代があった。

さて、このラグビーと云われていた球技がイングランドからアメリカ東部に上陸し、当時アメリカの代表的な大学のリーグであったアイビーリーグでもラグビーの対抗戦が行われていたが攻守が明確でないということで、ルールを作りより明確に攻撃権を得られるようにという発想から現在のアメリカン フットボールの原点でもある「ボストン フットボール ルール」(写真3)というものを取り入れ攻守交代を明確にし、現在のアメリカン フットボールに引き継がれてきた。

ラグビーに熱中していた東部の大学生だがそれまで禁止されていた腰から下へのタックルが1888年にルールで許され、その事によって観衆にとっても選手にとっても球技というより格闘技に近くなり一層熱狂することができた。その反面、競技者にとっては負傷の度合い、特に頭部の負傷が急激に増加する事となり危険度も増した。

だが、カレッジ フットボールでは1939年までどんな用具の使用も強制されるようなルールはなくプロでさえも1943年までは強制的な用具の着用のルールにはなかったほどである。余談ですがヘルメットを着用しないで試合に出続けた最後のNFLの選手は1940年のプロ王座決定戦のシカゴ ベアーズ 対 ワシントン レッドスキンズの試合で70−0という大差でレッドスキンズを下したベアーズの伝説の名ラインバッカー として君臨していた鉄人ディック バドカスだと云われている。

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