久保田薫コラム

アメフトのヘルメットの起源は・・・

第7話
アメフトのヘルメットの起源は・・・・
第3章


最初のプラスティック ヘルメットの誕生はリデル社のコラムで記述したように1939年にリデル社の創業者でもあるジョン テイト リデルによってもたらさられた。 最初にチンストラップが開発されたのもリデルであった。

それ以降のリデル社による様々な開発はそのコラムを参考にしていただければ幸いです。(リデル社コラム) また信じられない話ですが、最初に作られたプラスティック ヘルメットの上部は半円形ではなく平らだったが当たった時に相手に負傷を与える危険性が多いということで角が削られ半円形にして丸みをもたせ、ぶつかっても滑りやすくして負傷しないように考えられてできたもので、頭部が丸いから当然それに合わせて作られたと思いがちですが実際は違う理由でした。

その後のヘルメットの大きな変革は、同じく私のコラムのシャット社の項で述べた現在の主流でもあるエアーフィッティング方式のサスペンションが取り入れられたことでしょう。 私もこのヘルメットの変遷をアメリカで目の当りにしており色々な体験をしているので古い話ですが現実にエアー調整式ヘルメット誕生の瞬間に立ち会えた事は光栄であり、是非その誕生までのストーリーを紹介させていただきたいと思います。

キュービィ クラブ創業後の1975年ごろアメリカ国内のメーカーや大学のチーム、NFLのチームなどを訪問している時にミシガン大学の大学病院の脳外科医であったリチャード シュナイダー先生が脳への傷害を著しく減少させられるヘルメットを開発したというニュースが入りました。

すぐ連絡をとり当時フロリダの研究室におられた先生を訪ねることになり実際にそのヘルメットを手に取り色々説明を受けましたが実際にはこの2年前から開発していたと聞かされました。

まず驚いたのがそれまでにもリデル社からエアーサスペンション方式のヘルメットが開発されていましたが、リデルのものは小さな5cm角ほどのビニールのシェルに空気と液体が入っており、そのシェルが側頭部、後頭部、頭頂部に数個づつユニットとして取り付けられていたものですが、リチャード先生の開発されたものには蛸の足のようなブルーの細い管状のチューブがヘッドギャーのような形で2重にはめ込まれており(写7)、このチューブだけ頭上に乗せてプレーしてもラグビーのヘッドギアーよりも衝撃は少ないのではと思えるほどのものでした。

ただ、そのサスペンションを挿入する為、シェルは本当に蛸壺のように細長く大きく、しかも重いというのが実感でした。

その当時、まだ正式にはどこのカレッジもNFLのチームも使用している選手はなくモニターとして有名大学、プロチームに配布しテストしてもらっているということでした。

70年代バリー スイッツアー ヘッドコーチのもとウイッシュボーン フォーメイションからトリプル オプションを駆使し全米チャンピオンに輝き、NFLのチームにも勝つのではと噂されるほど圧倒的な強さを誇っていたオクラホマ大学にトリプル オプションの指導を仰ごうとフロリダから立ち寄り、オクラホマ大のロッカールームを見ると、何とリチャード先生の開発したヘルメットが各レギュラー選手のロッカーに置いてあり、後にNFLのバッカニアーズのドラフト1位にもなり身長は2m近く、体重は120k近くにも拘わらずそのスピードは驚異的で超有名であったDEのリーロイ セルモンがそのヘルメットをテストすると言ったので 楽しみにフィールドに出ました。

ところが30分もしないうちにセルモンはそのテスト中のヘルメットをトレーナーに渡し他のヘルメットにかぶり替えた、もちろんどうしてかすぐ聞きにいった。

予想通り余りにも重たいというのが最初の返事で、そのかわりいいことはいくら強く当たっても殆ど衝撃を感じないということであった。

ただその重さは首への負担を考えると普及するには大きな問題でもあった。 そこで、サポーターのメーカーとしても有名であったBIKE社(後にヘルメット部門はSchuttが買収)がリチャード先生をヘルメット開発担当責任者として採用し、本格的に軽量化の実現に向けてヘルメットの開発のスタートをきった。

そして、軽量化に成功したエアーフィッティング ヘルメットはミシガン大学が正式に使用し、アッという間に全米に広がることとなった。

もちろん、日本にも入荷したがやはり軽量化されたと云っても重さは他社のものと比べると重かった、しかし衝撃度の軽さは圧倒的によく日本でテストしても大型の選手や守備の選手には好評であった。

その後、バイク社からシャット社に買収されたが当社が輸入販売を始めた時はまだBIKEのブランドであった。ちなみに日本の選手で最初に着用したのは関西学院大のラインバッカーの選手であった。

そして、今やヘルメット云えばリデルとシャットの2大ブランドの時代だが、ローリングス社が最初のヘルメットメーカーであるというプライドを持って2011年から新しくヘルメット(写8)の生産を開始し販売を始め、アメリカでも評判は上々のようである。

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