久保田薫コラム

久保田 薫 アメフト マンダラ

第38話
久保田 薫 アメフト マンダラ
其の2 ビル ウォルシュいよいよNFLヘッドコーチに(8)

モンタナはノートルダム大での最初の年の1974年は殆ど試合に出ることもなくコーチにもさほど注目されていなかった。

2年生の時のノースカロライナ大との対戦で途中出場したが、14−6と8点差でリードされていた、試合終了まで残り1分02秒 モンタナはパスを投げまくった、結局この短時間に129ヤードを投げ遂に21−14と大逆転劇勝利を収め、モンタナの名を知らしめることになった。だが、これだけではなかった、次に空軍士官学校との対戦では30−10と20点もの得点差をつけられた第4Qから途中出場し31−30の大逆転撃を2試合続けて演じて見せたのである。 だが1976年のシーズンが始まる直前に肩を脱臼し、その年は選手登録せず翌年に賭けることにした。

そして1977年のシーズンが始まったがまだ完治していなかった事もありモンタナはスターターではなく3番目のQBとして登録されていた。 ノートルダム大は開幕戦に勝ったものの次のミシシッピー大には20−13で敗れた。 もちろん、モンタナはどちらの試合にも出場することはなかった。 そして、第3戦目のパデュー大との試合はスターターのラスティ リッシュの調子が悪く、ヘッドコーチのダン ディバインは2番目のフォリィステクを起用した。 その最初のプレーで相手守備陣に激しくタックルされ脊髄を傷め鎖骨も骨折しそのうえ脳震盪も起こし再びリッシュに交代させた。

フォリステクはこの負傷でフットボールを終えなければならないほどの身体になってしまった。 そして、試合終了前11分でパデュー大に24−14とリードされている場面でディバイン コーチはリッシュに替えてモンタナをフィールドに送った。

モンタナは前の逆転劇同様パスで154ヤード獲得し、31−24で再び逆転勝利で締めくくった。

1979年1月1日、ノートルダム大はヒューストン大とコットン ボウルで対戦することになった。だが、モンタナは風邪のせいで高熱に悩まされとても試合に出られるような状態ではなかった。試合中はずーっと薬を飲み、もちろんハーフタイムの間も暖をとっていたがモンタナの好きなチキンスープを飲むと突然元気になり第4Qからフィールドに戻りプレーをした。試合は28−34でヒューストン大にリードされていた。

そして、残り僅か4秒モンタナは当たり前のようにTDパスを決め、35−34でヒューストン大を下した。以降この試合は「チキンスープ ボウル」と呼ばれるようになった。 この後にこれほど凄いゲームばかりをプレーしてきたのにプロのスカウトの評価は肩が弱いというだけでQBの総合点としては低い評価であった、それが運命とかしかいいようのないビル ウォルシュの49ersに3巡目でドラフトされたのである。

その評価を覆す時がやってきた。
49ersにとっては初めてのNFCチャンピォン、そして初のスーパーボウル出場が決定する、しかし第4Q残り4分54秒で27−21とカウボーイズに6点のリードを許している。

学生時代から奇跡のような大逆転劇を何度も演じて来たモンタナにてっては6点差を逆転するには4分54秒もあれば十分な時間だと思われるが、NFL屈指の強豪で攻撃陣のみならず、数々の修羅場を乗り越えてきた強者(つわもの)揃いの守備陣を誇るダラス カウボーイズが相手ではまだプロ3年目のモンタナは若すぎるかも知れない。

モンタナはひるむことなく自陣11ヤードからの攻撃を開始した。
そして、慌てることなくゆっくりと時間を使い残り51秒でダラスゴール前6ヤードまで迫り第3ダウンとなった。
あと2プレーで間違いなく勝負は決まる。

モンタナはセンターからスナップされたボールを受取り、レシーバーを探す、ダラスのディフェンダーも必死の形相でモンタナの背後に迫る。モンタナは背後からの守備陣を避けるために大きく右サイドに動いた、エンドゾーンのレシーバーを探すがなかなかフリーのレシーバーが見つからない。レシーバーを探しながら横に動いているとサイドラインが見え、このままだとラインの外に押し出されると思った瞬間エンドゾーンの中でモンタナの動いた方向に動き手をあげているドワイト クラークが見えた。

モンタナはパスは失敗しても次のプレーがまだ1プレー残っているので相手にボールだけは奪われないよう普段よりも高めにボールをリリースした。(写真・17)ドワイト クラークは必死に手を伸ばしこのボールを指先で捕らえた、このプレーは「The Catch」と言われ今でも伝説として言い伝えられている。この瞬間スタジアムのスタンドが崩れてくるのではと思われるほどの大歓声につつまれた。(写真・18) 49ersは初のNFCチャンピォンに輝くと同時にスーパーボウルでもウォルシュにとっては因縁のあるベンガルズをも倒し初のNFLの王座に就いた。 このプレーの後、モンタナとクラークはメディアの引っ張りだことなり、メディアのみならず二人の笑顔は全米の女性をも虜にするほどになった。

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