久保田薫コラム

アメフトのヘルメットの起源は・・・

第6話
アメフトのヘルメットの起源は・・・
第2章


最初のヘルメットとして伝えられているのは、1896年にラファイエット大学のジョージ バークレイがデザインし馬具メーカーで作ってもらった5cmほどの皮ベルトのようなものを十文字に縫い合わせ、頭の形に合わせて裁断し着用したものでヘルメットというより現在のラグビーのヘッドギアーのような形状のものだったと云われています。(写4)

しかし、一般的にはもう少し前にヘルメットの起源と呼ぶに相応しい話が残っている。それは1893年の伝統的な対抗戦であるアーミィ(陸軍士官学校)対ネイビィ(海軍士官学校)の試合で、後にネイビィのパイロットの父と呼ばれるようになったジョセフ リーブスが彼の頭部へのケガを心配したガールフレンドがモグラの皮で作ったヘッドギアーを着用して登場した。ガールフレンドが作ったかどうかの真偽は定かではありませんが頭部に着用していたのは事実です。

それでも、試合後リーブスは大学の医者から試合中にもっと頭を蹴られて死なないようすぐにフットボールを辞めるよう忠告された、がもちろん辞める気は毛頭なかった。

そこでリーブスは近くの靴屋に行き、自分の頭蓋骨をしっかりと護れるように頭部を覆う形の皮革製のヘルメットやパイロットのヘルメットを改良したもの(写5)などを作ってもらった。その後ゆっくりではあったが1915年には衝撃の緩和のためにクッション材を詰める工夫がされたり、サイドラインからの指示がよく聞こえるように耳の部分に穴を開けたり、現在のヘルメットの形状に近いものが登場しはじめた。

また、QBが相手の守備の選手とレシーバーが競り合った時にすぐ自軍の選手であることが判りやすいように特別な選手の革製ヘルメットにペインティングしたチームが現れ始めた。そして、ミシガン大学が皮の繋ぎ目の模様に合わせて全選手のヘルメットにチーム の象徴としてチームカラーを皮の継ぎ目に合わせてペイントしたのに続き、NFLは1948年に当時ロサンゼルスを本拠地にしていたラムズが角をイメージしたロゴをヘルメットにペイントしたのが最初であった。

では頭部を保護するものがなかった時代はどうしていたのでしょうか。 1939年に用具の装着の義務がルール化されても1940年代の初期にはまだ何も装着せず競技している選手が、殆どの選手が皮革製のヘルメットを装着しているにも拘わらず数人みられた。(写6)

日本にアメフトが正式に認められ、その当時の1936年関東大学フットボール リーグのルールブックの用具の最後の項目に特別注意という項が設けられ「競技規則委員は競技者にヘルメットの使用を要求す。」と明記されています。 驚いた事にアメリカから日本に渡ってきたアメフトにも拘わらず、1939年にヘルメット装着の義務化を決めたアメリカよりも3年も前に関東大学リーグのルールブックに明記されている事実は日本の安全に対する考慮がいかに大きいものであったかを証明しており、当時の指導者達の競技者への安全の思いが充分感じられる項目でもある。

いずれにせよ、ラグビー形式のフットボールを行っていた当時から頭部への負傷は大きな問題にはなっていた。だが、用具を開発するというところまでは至らなかった。そこで、選手は自主的に自身を護るしかなかったのである。

そこで、頭部への衝撃を和らげたり切り傷から護る為に頭髪を少しでも長くし決して短くはカットしなかった、中にはヒゲの濃い選手は口ヒゲをできるだけ長く多く伸ばし、それで鼻や口を保護していたという。 そんな大変な過程を経て次に大きな改革が見られたのは頭蓋骨とヘルメットのシェル(まだ皮革製だった)の間に空間を設けるタイプのもの、いわゆる吊り天式サスペンションと呼ばれるシステムが登場した時であろう。 それまでは頭部とヘルメットの間に多少の緩衝材的な役目をした布やゴムなどがあったとはいえ殆ど頭蓋骨とヘルメットは直接接触しているような状態で衝撃も多く、頭部の事故も多く見られた。

だが、布ベルトを吊り天井のようにヘルメットの内部にとりつけ、衝撃がダイレクトに頭蓋骨に届くことが少なくなっていった。

これは1905年にシカゴ トリビューン新聞のトップ記事としてフットボールで18人の死者と159人の重傷者を出し、血だらけの選手の写真が掲載され、全米の注目を集めることとなり、国会でもフットボール廃止案が議論された。

しかし、時の大統領であったセオドール ルーズベルト大統領がまず青少年の体力増強プログラムの導入と安全な用具の開発をメーカーに呼びかけ存続を決定した、結果として一時廃止案も出たフットボールの競技においてもアメリカの文化という意味でもこの決断は大きく画期的な決断でもあった。

1917年、イリノイ大のコーチがデザインしたこのシステムのヘルメットを最初に生産したのがローリングス社とスポルディング社であった。

そして、いよいよ皮革製ヘルメットからプラスティック シェルの誕生を迎えフットボールも大いなる発展に向けて歩むのである。

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