久保田薫コラム

久保田 薫 アメフト マンダラ

第26話
久保田 薫 アメフト マンダラ
其の1 ビル ウォルシュとの出会い(1)

1976年8月16日 日本初のプロフットボール ゲーム サンディエゴ チャージャーズ 対 セントルイス カージナルスの対戦がロス在住日系2世の大富豪フランク 高橋氏と毎日新聞の尽力によって38,000人の大観衆が熱狂する後楽園球場(現在の東京ドームの前身)でキックオフされた。
当時、アメリカのプロはもちろんカレッジ フットボールにも夢中だった私にとっては日本の人に絶対に本場のアメフトの凄さをライブで見て貰いたいと常日頃思っていただけに、勝敗などを超越した熱いものが身体の中を駆け巡った感覚を今もハッキリと覚えている。
この両チームには私自身にも、また将来のNFLの発展史上に於いても大きな影響を与える事になる偶然とは思えない不思議な縁(えにし)を感じざるを得ないコーチ、スタッフ、選手が参加していた。

中でも最もNFLの歴史に大きく関わり後にプロ フットボール界の殆どのチームに自身の教え子を送り込むほど偉大な業績を残し、私自身にも多くの事を嫌な顔ひとつせず熱心に指導してくれたのはこの当時チャージャーズの攻撃のプレーコールをしていたオフェンス コーディネーター兼QB・WRコーチのビル ウォルシュであった。

ウォルシュ自身も派手な性格ではないためかQBの指導者としては知る人ぞ知るという匠(たくみ)の分野に入るほどの手腕の持ち主であったが、この当時のシカゴ ベアーズのジョージ ハラス、マイアミ ドルフィンズのドン シュラー、ダラス カウボーイズのトム ランドリー、ピッツバーグ スティラーズのチャック ノルの各ヘッドコーチ達のような誰もが知るというほどの知名度はなかった。 そんなビル ウォルシュとの再会は私にとっても楽しみであった。(写真・2)

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