久保田薫コラム

久保田 薫 アメフト マンダラ

第27話
久保田 薫 アメフト マンダラ
其の1 ビル ウォルシュとの出会い(2)

当時のNFLのサマー キャンプは7月の第1週から始まるのが通例だった。

チャージャーズも7月の第1日曜日からキャンプがUCSD(カリフォルニア大学サンディエゴ校、ちなみにUCLAはカリフォルニア大学ロサンゼルス校の事)でオープンしたが初日は練習はなく用具係が新人選手への用具の支給や調整をし、それらを受け取った選手は自分の宿舎としてあてがわれた大学の寮の部屋に案内される。

私も初日からキャンプに参加したが自分の荷物をフットボールバッグに入れて行ったためかルーキーのキッカーと間違われた。当時オクラホマ大からドラフト8位で指名されたキッカーのトニー ディリエンゾとは私がオクラホマ大のバリー スィッツアー ヘッドコーチにトリプルオプションの教えを請うために2年前に大学を訪問した時に出会い顔なじみであったにも拘わらず、冗談半分で「あなたは日本のコーチだと思ってたのに本気で日本からNFLにトライするつもりなのか」と聞いてきて、当時同じオクラホマ大からテスト生としてキャンプに参加していた控えの黒人QBだったケリー ジャクソンも横で聞いていて大笑いしていたのが懐かしく思い出される。

当時チャージャーズのヘッドコーチを務めていたのはサイドラインで堂々と葉巻をくゆらせる事で奇人扱いされていたオレゴン州立大、UCLA等カレッジのコーチ経験が豊富であったトミー プロスローで、チェスやカードゲームのブリッジ、バックギャモンなどの名人としても有名であった。
(写真・3)

そのプロスローにまず挨拶に行くと案の定夜に部屋でチェスをやらないかと誘われたがルールも知らないのでと丁重に断りマネージャーから滞在中の部屋の鍵をもらうと、何とオクラホマ大の控えQBであったケリー ジャクソンと相部屋であった。

当時のオクラホマ大学はNFLの最下位のチームより強いのではと云われるほどで、攻撃はウィシュボーン体型からのトリプル オプションを駆使しパス攻撃は皆無に近かったが、毎試合高得点を挙げ、2年連続全米チャンピォンに輝くほど無敵の強さを誇っていた。

其の中心がRBジョー ワシントン、QBスティーヴ デイビスのコンビで展開されるオプション攻撃による強力なラン攻撃、ハイズマン賞を獲得したオクラホマ大出身のRBスティーヴ オーエンスの弟のWRティンカー オーエンスのパスレシーブ、守備では恐怖のフロント3兄弟と恐れられたセルモン ブラザースが鉄壁の守備を誇り、特にタンパベイ バッカニアーズにドラフト1位で指名されたリーロイ セルモンは身長は2mを超え体重も130k近くにも拘わらず100mを11秒台で走るという怪物アスリートで日本にも来たことがあるが一緒に空手道場に行って日本の選手と練習し、「とても怖かった」と風貌に似合わぬ情けない顔をしたのが印象的であった。其の彼もこの話を書いている最中の9月4日に56才の若さで亡くなったというニュースを聞き余りにも早い死に驚くと同時に色々な思い出が走馬燈のように駆け巡った。(写真・4)

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