久保田薫コラム

アメフトのヘルメット以外の装具の歴史

第8話
アメフトのヘルメット以外の装具の歴史
第1章


アメリカン フットボールに於けるヘルメットやチンストラップの着用がルールで正式に義務づけられたのはアメフトが誕生して70年も経った1939年であった事は前章のヘルメットの起源でも述べた通りですが、ショルダーパッドもほぼ同時期に着用が義務化されました。

創生期の1870年ごろのフットボールの試合ではもちろんルールで定められた装具などなく、頭部は自らの髪を伸ばすことで護り、あとはキャンバス地のような分厚い生地でできたセーターのような上着とヒザまでのズボンとストッキングを着用して競技を行っていました。

しかも、それまで選手の数に特別な取り決めも、フィールドの大きさも決まったものはなくただボールを奪い合いゴールを目指すというラフなゲームであった。

アメフトの誕生と云われている1869年11月6日にニュージャージィ州ブランズウィックで行われたプリンストン大学とラトガーズ大学の試合は選手の数やフィールドの大きさなどが決まられたものだったが、それでも現在のアメフトからはとても想像できないほどサッカーとラグビーに近く、各チームの選手は25名でフィールドは横が75ヤード、縦が130ヤードというもので試合球も円形のサッカーボールであった。

現在の楕円形のボールに近いボールが使用されたのは1875年とされているが、当時はラグビーの対抗戦が各大学で実施されていたので多分ラグビーボールが使用されたものと思われる。

1800年後期になっても肩や腰などを護る正式なパッドはなく選手自身が工夫しなければならなかった。そこで肩の部分に綿を入れたパッドを縫い付けたジャージを着用する選手が登場しはじめた。(写真1)

1905年に18人の死者と159人の重傷者を出すに至るまでルールの大きな変革もなかったが、この事でアメフト廃止論も論議されるようになり1910年にNCAA(全米大学体育協会)が設立され、負傷を少なくするための戦術(代表的なものとしてランプレーだけだったのを前パスの承認によりコンタクトを少なくした)やルールを採用し、装具についても徐々にではあるが装具の義務化や取り決めが行われていった。

1920年代に入ってヘルメット同様皮革製のショルダーパッドが作られ全員ではないが着用する選手が現れ始めた、ジャージィにも5cm幅ほどの皮を縦に縫い付けて肋骨など胸部を保護する選手もいた。(写真2)

もちろんその当時は他のパッドについても取り決めがなかった。史上最高のアスリートと云われるジム ソープを育てたグレン ポップ ワーナー ヘッドコーチが、1905年に柔らかい布で作ったニィガードを選手に与えたという記録があるが、ヒップ(腰部)、サイ(太腿)、ニィ(ひざ)の各パッドを自分自身で選んだ皮や布などの適当な素材のものをパンツの中袋に入れたり、腰を護る為にパンツを腰の上部まで延ばしたものを殆どの選手は着用していた。(写真3)

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