久保田薫コラム

アメリカ スポーツ用品業界史

第4話
シャット
(Schutt Sports Manufacturing Co)


リデル、ウイルソン、ローリングスのヘルメットが日本に普及したのに比べるとシャットのエアーサスペンションヘルメットの日本への入荷は遅く、当時BIKEのブランドで既にアメリカで急速に普及し始めていたヘルメットを、後にBIKE社からシャットスポーツ社が買い取りSCHUTTのブランンドとしてより人気の高いヘルメットとなった。

シャットスポーツは、本来はバスケットボールのゴールをはじめとしたバスケットボール用品を主に生産し、その後フットボール用のフェイスガードが主力商品となり全てのメーカーのヘルメットにシャット社のフェイスガードが使用されるようになり、それを契機にバスケットボール用品はもちろんアメリカン フットボール、野球、ソフトボール等の用具を生産するようになっていった。

そのシャット社の創業は1918年でビル シャットがイリノイ州リッチフィールドでバスケットボールのゴール等を製造する工場からスタートをきった。
そして1935年、のちに主力商品となるアメリカで最初のフェイスガードを製造した。だが、当時はまだフェイスガードの装着は強制ではなかった。

1962年、フットボールではフェイスガードの装着が義務づけられると、そこに目をつけたデルハンフリーが会社を買収した。
ハンフリーはその翌年、当時は一度取り付けたフェイスガードは簡単に取り外す事ができなかったが、プラスティックのホルダーとビスでのアタッチメントシステムを考案し、いつでも簡単にヘルメットから着脱できるよう改革した。

1973年にはそれまでフェイスガードのカラーはグレー1色だったのを初めて8色のカラーのフェイスガードを作った。
1973年の第3回スーパーボウルで下馬評では不利であったジェッツへの評価に「ジェッツの勝利は俺が保証する」と自ら断言し、言葉通りチームを勝利に導いた事でも有名なQBジョーネイマスが特注のシャット社のフェイスガードで登場しMVPにもなった。
当時、このフェイスガードはネイマス型と呼ばれ同型のものは品切れが続出したほどであった。

1974年、現在では主流の最初のエアーフィッティング方式のヘルメットを開発した。
1984年には野球ヘルメット用の初のワイヤーフェイスガードを開発生産した。

1986年、元ピアノ教師であった女性のジュリーニモンズがシャット社の社長に就任したが、彼女は就任後日本のフットボール、野球の普及度などを自分の目で確かめたいと来日し、大阪にも数日滞在した。後にヘルメットのメンテナンスに対しての感謝状が当社にも送られてきました。
以降、ヘルメットの改良は年々行われ、エアーフィッティングヘルメットでは不動の地位を築き、野球界やソフトボール界でもMLBのワールドシリーズのロゴ入りベースを提供したり、2004年の北京オリンピックのソフトボール出場チーム8チームのうち、金メダルを獲得したアメリカを含む5チームはシャット製のヘルメットやキャッチャー用プロテクター等を使用していた。
もちろんフットボールのショルダーパッドや他のパッド類の開発生産も続けられ、多くのプロ選手や有名選手が使用している。

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